パ フ ォ ー マ ン ス


存在に向かって回れ



ムラティ・スルヨダルモのアート




英文:キーラ・コルドスキー 
和訳:燈里 



Melati Suryodarmo, “The Black Ball”,
performed at Van Gogh Museum, Amsterdam 2005.
Photo by Oliver Blomeier.
Photo courtesy of the artist.


ムラティ・スルヨダルモのパフォーマンスは、日常生活からかけ離れた時間空間に存在するようだ。時の流れを利用した彼女の代表作品の多くは長時間にわたり継続し、その間鑑賞者はエネルギーが物質に与える影響や、逆に物質がエネルギーに与える影響を淡々と、しかしじわじわと確実に体験するよう迫られる。山積みの石炭が丸1日かかって炭塵と化す《I'm a Ghost in My Own House》(2012年)、巨大な強化ガラスが1枚、赤い照明に照らされてギャラリーの1室をじりじりと何時間もかけて移動する《I Love You》(2007年)。そして《Transaction of Hollows》(2016年)では、800本の矢が厳粛に放たれ、次々と石膏ボードに突き刺さる衝撃音が轟きわたる。


これら3作品に留まらず、スルヨダルモは過去30年の活動で数多くの作品と偉大な功績を残してきた。様々な素材を変化させ抵抗させるエネルギー源となるのは、アーティスト自身の身体だ。スルヨダルモは鍛え抜かれた強靭な身体を持つが、これはマリーナ・アブラモヴィッチらによるパフォーマンス・アートの過酷な訓練や、日本の舞踏やジャワのスマラー瞑想など肉体の修練の結果に他ならない。また、かつてスルヨダルモが芸術学ではなく、国際関係学を学部で専攻していたのも納得がいく。私達が個人としてどのように協力関係やコミュニティ、文化、国家を形成するか、そして私達が時に作り出し、時に排除されるこれらの集団の構造がどのように個人に圧力を行使するか。スルヨダルモの作品の根底にあるのは、こうした国際関係学の問いだからだ。


スルヨダルモは、内面の世界、つまり自我の感覚や自己意識が現れる、記憶と感情の集合体というテーマに取り組みたいという意欲を表明している。このような個人の内面世界の果てしない広がりと特殊性を考えると、私達の他人との関係性は全て国際関係のそれに等しいと言っても差し支えない。スルヨダルモの特定の人間関係や記憶は制作のきっかけにはなれども、それ自体は作品の主題にはなりえない。むしろ、スルヨダルモの作品は存在の拡張を可能にするような、没入型の概念空間を生み出す。スルヨダルモは次のように語っている。「私にとってアートは色々な意味で実用的であるべきだと思っています。アートは何かをもたらし、何かを提供するものでなければなりません。私達の知覚を刺激するだけではなく、考え、感じ、深く関与する空間をアートが作り出すべきです」。


Melati Suryodarmo, "Eins und Eins performed at Pearl Lam Galleries Singapore, 2016
Photo by Riki Zoelkarnain.
Photo courtesy of the artist.



スルヨダルモがそのような空間を作り上げられるのは、パフォーマーとしての身振りは当然のこと、衣装や建築、音にも常に思慮をめぐらしているからだ。この空間の最も重要な要素は、根元的に循環する性質であり、その周転が物質と非物質の相互作用を発展させる、あるいは融合させる原動力であることだろう。

スルヨダルモがパフォーマンスで身につけるものには意味がある。彼女が衣装選びで重視するのは「パフォーマンスの動きにふさわしいデザインと着心地の良い生地」だと言う。衣類のほとんどは自らデザインしたもので、綿密に仕立てられている。スルヨダルモはシンプルだが印象的なロングドレスを纏うことが多い。2003年の作品《Alé Lino》では、台座の上に立ち、4メートルの棒の先端を神経の集まる太陽神経叢があるみぞおちに当て、3時間もたれかかる。シルク製の黒のストラップレス・ドレスは、流れるようなラインをくっきりと描き、パフォーマンスのミニマリズムを強調する。さらに、静けさの中で高まる緊張感や疲労、痛みもドレスによってさらに際立つ。


Melati Suryodarmo, “Ale Lino”, Gross Gleidingen, 2007.
Photo by Reinhard Lutz.
Photo courtesy of the artist.
時にスルヨダルモの衣装は作品の要にもなる。《Excuse me, Sir!》(2009年)では、スルヨダルモが台湾のある儒教寺院の中を歩き回る。寺院の壁に刻まれているのは、女性に対してあるべき言動を指示する内容の文章だ。スルヨダルモは釘だらけの黒いマスクを被っている。これは女性が人を侮辱することの容易さと、抑圧的な拘束に抵抗する攻撃的な反応の両方を表現しているのだろう。淡い色合いの衣服が、作品中で使われる他の素材を強調することもある。《I'm a Ghost in My Own House》では、石炭の粉が白いドレスを真っ黒に覆い、パフォーマンスは幕を閉じる。

また、スルヨダルモの服が広がり、舞台の一部になることもある。《My Fingers Are Triggers》(2007年)では、鮮やかな赤のシルクドレスの裾が床で大きな円を鮮明に描く。この円は、天井に取り付けられた10本のテンションバンドの配置を反映している。アーティストは手術用のテンションバンドを指に装着し、天井と床の間の支点として存在し、糸を引くと糸に引っ張り返されるという状況を作り出している。様々な用途で使用されるスルヨダルモの衣装は、薄くとも重要な身体の延長であり、身体を伸長させ舞台環境の一部になったりと、肉体の境界線を揺り動かし複雑にする。

スルヨダルモのパフォーマンス環境は衣装と同様、周到に構築されていることが多い。「パフォーマンスによってはコンセプトと融合するような環境が必要です」と彼女は説明する。「例えば、《Perception of Patterns in Timeless Influence》(2007年)の舞台設計を箱形にしたのは、孤立し離れ離れにされた状況というコンセプトに基づいていました。私は一つのガラスの箱に7匹のウサギと一緒に入り、そこでパフォーマンスを行うことでウサギと仲良くなれるようにしたのです」。

ウサギは様々な神話に登場することから、この作品に組みこまれることになった。照明と窓がついた箱は、ウサギとスルヨダルモを閉じ込めると同時に、箱の外にいる2人の共演者からスルヨダルモを引き離す。共演者はオペラ歌手とバイオリニストで、20分間隔でヨハン・セバスティアン・バッハの「マタイ受難曲」から「血を流せ、我が心よ!」を演奏し、作品にBGMをループで導入する。スルヨダルモは音楽に没頭しながらも、構造的には音楽から隔たっている。



Melati Suryodarmo, “I Love You”,
performed for Event Festival, 2007.
Photo courtesy of the artist.
Spin-into-being
《Lologue》(2014年)は、演説の中で権力を誇示する際に使われるジェスチャーを探究した作品であり、舞台は純白の巨大な階段である。スルヨダルモは観客よりもはるかに高い段でパフォーマンスを行う。衣装であるゆったりとした黒のボディ・スーツは頭からつま先まで鈴で覆われており、階段の白が衣装との対比を際立たせる。「《Lologue》の鈴の衣装を作ったのは、鈴が鳴る喧しい音で権力の存在を誇張するためです」とスルヨダルモは説明する。「鈴は多くの伝統儀式で使用されていて、精霊を目覚めさせ、信仰心を高める効果があります」。

これらの作品をはじめ、スルヨダルモ作品における音の重要性は明らかだ。《Transaction of Hollows》でスルヨダルモが矢を打ち込む壁は、音響効果を高めるために特別に設えられたもので、1本1本の矢が高らかに鳴り響く仕掛けだ。《Eins Und Eins》(2016年)では、スルヨダルモは国家を臓器のある身体に見立て、黒いインクを口に含んでは白い壁に向かって吐き出す動作を繰り返す。彼女が呻きながらも言葉を発しないのは、抑圧による沈黙が引き起こす吐き気を表現している。スルヨダルモは《Exergie - Butter Dance》(2000年)について、音そのものがパフォーマンスにもたらす力に注目した作品だと語る。この作品で、スルヨダルモはバターの塊の上をハイヒールで踊り、何度も転ぶ。「音が音楽を超えると私が初めて思ったのは、《Exergie -Butter Dance》でマカッサルの太鼓を使った時でした。私はマカッサル出身の伝統的な太鼓奏者とコラボレーションしていますが、太鼓が生み出す音の情報は力強い振動であり、時間を超えて伝わると分かりました」。



Melati Suryodarmo, ”Transaction of Hollows”,
commissioned by and performed at
Lilith Performance Studio, Malmo, 2016.
Photo by Peter Petterson.
Photo courtesy of the artist.
スルヨダルモが若い頃に受けたパフォーマンスの訓練の土台に音楽があり、ひいては彼女が循環の性質に根差した作品を発展させる上で音楽は不可欠だった。スルヨダルモは1994年にドイツで舞踏家の古川あんずと偶然出会っている。その縁があって、国際関係学を専攻していたスルヨダルモが芸術の道に進み、古川の指導を受けてパフォーマンスを学んだ話は有名である。

「古川氏は振付やダンス、舞踏、パフォーマンスを教える前に、クラシックから前衛まで多様な音楽を紹介してくれました。彼女は舞踏家であると同時に作曲家でもあり、日本で作曲を学んだようです。身体がどのように動くのか、なぜ私達は動作と音楽を結びつけるのか、またはなぜ音楽から動作を切り離すのか、古川氏は音楽を通して伝えていました。彼女からスティーヴ・ライヒ、テリー・ライリー、ジョン・ケージなどを教えてもらいました。特にスティーヴ・ライヒの音楽に見られるような、作曲における反復を理解するのは興味深い体験でした」。

古川に従事して以来、スルヨダルモのパフォーマンスには反復が様々な形態で登場する。それは過去作品からも明らかで、《Butter Dance》では転倒を繰り返し、《Transaction of Hollows》では矢を連投する。作品名である《I love you》を何度も呟きながら強化ガラスを運び続ける作品もある。しかし、スルヨダルモは静寂もまた、本質的には反復であると考えている。1970年代のフェミニストのパフォーマンス・アーティスト達による「活人画」が彼女の数々の作品に影響を与えた。例えば、エゴン・シーレの肖像画をモチーフにした《Alé Lino》または《Black Ball》(2005年)では、スルヨダルモは壁に取り付けられた椅子に黒いボールを持って座り、1日8〜10時間、4日間を過ごした。



Melati Suryodarmo, “Perception of Patterns in Timeless Influence”
Performed at Lilith Performance Studio, Malmo, 2007.
Photo by Hana.
Photo courtesy of the artist.

スルヨダルモの反復は、私達の日常の周期に織り込まれた葛藤を表現しているという解釈もできる。例えば、《Cruise Control》(2007年)で、スルヨダルモは草に覆われた険しい土手に勢いよく突進しては何度も仰向けに倒れ込む。また、《Why Let the Chicken Run》(2001年)では、ギャラリー空間で黒い雄鶏を追いかけ、捕まえては放すことを繰り返す。ダンス作品《Sisyphus》(2015年)では、スルヨダルモがダンサー達の演出と振付をし、周期の本質について瞑想を行う。「シーシュポス的作業はよく無駄で愚かな行為だと見なされます」。続けてスルヨダルモは次のように問いかける。「しかし、もしもシーシュポスが、苦しく無益な作業を気に入っていたとしたらどうでしょう?この宇宙、この人生には何も残らないと私は考えています。パフォーマンス・アートとその非物質性は、この世の変遷を経験する貴重な機会となります。したがって、反復は1回1回が特別で、1回1回異なります」。

《Sisyphus》を制作するにあたり、スルヨダルモは憑依に関するシャーマニズムの儀式を研究した。また、彼女のキャリアに長年影響を与えてきた哲学概念、アントナン・アルトーの生成としての「器官なき身体」と儀式との関連を調べた。「私が注目したのは神秘主義ではなく、身体がいわゆる 「憑依」された時の現象でした。儀式について学び、試してみる過程で、自然な反復を経験しました。私達が何度も体をぐるぐる回して自分自身を開放する時、霊が訪れ、生成するのです」。

周期が起こる期間が数分以内であれ、歴史という長い尺であれ、周期という概念は伝統の概念と深い関わりがある。スルヨダルモは伝統に関して独自のアンビバレンスを抱えて生きてきたが、その個人的な経験から普遍的な意義を持つ視点が生まれた。ジャワ人女性としてドイツで芸術活動を行う中で、作品がインドネシア文化に分かりやすく言及すると、すぐに「エキゾチック」だと見做される視線は意識していると言う。




Melati Suryodarmo, “Exergie-butter dance”
Performed at VideoBrasil, Sao Paolo, 2005.
Photo courtesy of the artist.
「伝統」というのは議論の余地のある概念だとスルヨダルモは語。「私は新秩序体制(スハルト政権の類義表現、1966年〜1998年)の完全な産物の一つです。当時の文化戦略は伝統を利用して国民意識を圧倒していました。この時代には伝統に対する旧来の理解が維持され、全ての国民が高尚な伝統を称賛し、世界中で文化大使の使命を果たすべきだと強く信じられていました。このような長期にわたる行為が、本当の意味で伝統を生きるという実感を人々から徐々に奪っていったことを残念に思います」。

スルヨダルモのパフォーマンスには、伝統と儀式、特にジャワや多様なインドネシア文化の慣習が織り込まれているが、形式的な意味ではなく、機能的な意味で非常に意図的に適用されている。例えば、弓術はインドネシアの神話によく登場するが、《Transaction of Hollows》でスルヨダルモが使用する弓矢にも、パフォーマンス用の服(シンプルな仕立ての白いパンツスーツ)にも、物理的なパフォーマンス空間にも、インドネシアの神話に意識を向けさせるものはない。 

《The Promise》(2002年)では、スルヨダルモは赤いロングドレスを着て、髪のエクステンションを床にくねらせて広げ、新鮮な牛の肝臓を抱えて3時間座り続ける。この大きな臓器ははらわたのような物体であり、様々な含意がある。スルヨダルモはインドネシアの慣用句である「自分の肝臓を食べる(自分の痛みを消化する)」に言及している。この作品を制作するにあたり、スルヨダルモはヒンドゥー教の戦いの女神、ドゥルガー(インドでよく知られているが、ジャワ島をはじめとする東南アジアの古代建造物にも描かれている)を中心にリサーチを行った。ドゥルガーについてスルヨダルモは以下のように思い起こした。「端的に述べると、この若く美しい女性は、自分の恋人になろうとする悪魔を退治し、男性の保護や導きからは独立して存在しています。これは、伝統的なヒンドゥー教の法典に見られる、女性の固定観念的見方に異議を唱える女性像を象徴しています。このような人物描写は、服従と社会で屈辱的な役割を強いられている女性が抑制している並外れた力を示唆しているのでしょう」。



Melati Suryodarmo, “My Fingers Are the Triggers”
Performed at the "Insomnia - La Nuit Blanche", Le Generatuer, Paris, 2007.
Photo by Nicole Berge. Photo courtesy of the artist.

10本あるいは18本の腕はドゥルガーを象徴するおなじみの視覚表現だが、ドゥルガーの神話から力強い連想が可能である一方で、スルヨダルモは作品の中で女神の存在をあからさまに示す表現を使わないようにしている。「通常、伝統芸術では審美性よりも社会機能の方が重要なので、私は伝統的な生成やダンスと儀式の霊から学ぶことに興味があります」と説明する。

アートの社会的機能は、アートの形式的な要素が存続するのとは全く違った形で、歴史や文化の中で変移することがある。スルヨダルモは当初はスティーヴ・ライヒとアントナン・アルトーを研究していた。このアーティスト達は、現代芸術の表現形式を発展させたモダニズムの概念に深く影響を与えたが、実は2人がバリ島のガムラン音楽に感化されていたこともスルヨダルモは調べていた。アルトーのガムラン音楽に対する理解には誤りも多かったことが今では広く知られている。それでもなお、国や文化、芸術様式を越えた伝統の伝承は、儀式と現代の芸術様式を結びつけるスルヨダルモの作品にある種の循環性をもたらしているようだ(ただしスルヨダルモはバリ人ではなくジャワ人である)。そしてそれは、彼女が言うところの「生きた伝統」の一例として見ることができる。生きた伝統は変化を取り入れ、予測不可能な分派や変容を生み出すが、同時に、抑圧されたり、エキゾチシズムや愛国主義の言説に回収されたりして、根本的に失われる危険性があるものだ。




Melati Suryodarmo, “Why Let the Chicken Run?”
Performed at A little bit of History Repeated, group exhibition at Kunst Werke, Berlin ,2002.
Photo by Roland Runge. Photo courtesy of the artist.

《24,901 Miles》(2015年)の作品では、土が敷き詰められた広い部屋がまず目に入る。スルヨダルモはマットレスを丸めて運んだり、その上に寝そべったりしながら、数時間かけてスペースを移動する。周期的にある場所から別の場所へと土をかき集める様子は、他の作品と同様に「無駄な」シーシュポス的活動だと解釈できる。作品名は赤道を中心とした地球の外周の距離数であり、私達の人生の現実と心理、そして世代の周期が刻み込まれた大規模な円を象徴している。

スルヨダルモによると、円には始まりも終わりもなく分断できないが、内と外の境界を示すと言う。《24,901 Miles》は、住まいと家庭の密接で複雑な関係を掘り下げ、これは彼女の作品全体に言えることだが、無と所有、繋がりと分離の関係についても探究している。そしてアルトーに関連して、これらの緊張関係の中で、身体が周期的に臓器を溶解しては結局もう一度再生するような容器として、どのように機能するのかについても考察を深めている。



Melati Suryodarmo, “24191 Miles”
Performed at the OzAsia Festival, Adelaide, 2015.
Photo by Riki Zoelkarnain. Photo courtesy of the artist.

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