絵画


­昔々、 あるところに…



パヴェル・ペッパースタインの世界



英語原文: ロジャー・ボイス
ロシア語原文:パヴェル・ペッパースタイン
英訳:ナターリア・フィリモノヴァ、マーク・トロチキン
和訳:燈里





Pavel Pepperstein, “Memory is Over”, 2014
© Pavel Pepperstein, 2015
Courtesy Kewenig Gallery



独創的な博学者、パヴェル・ペッパースタインの作品をどのように言い表すべきだろうか。このロシア人アーティストの全作品を完全に理解するには、ペッパースタインの世界観が現実だと思い込む必要があるのかもしれない。つまり、それは代替の小宇宙の暫定的な法則に条件付きで身を委ねることだ。この小宇宙では、アーティストが私有する惑星が、歴史的な時間と空間の引力による拘束から逃れようと、奇妙に偏心した軌道を描く。


画家、作家、評論家、芸術理論家、ファッションデザイナー、ラッパーなど、様々な顔を持つペッパースタインは、現代のロシアで最も影響力のあるアーティストの1人として知られている。美術評論家ボリス・グロイスは、「ペッパースタインは数多くの肩書の中でも、何より『社会空間のデザイナー』である」と表している。

ペッパースタインは、ソビエト時代末期に前衛的な知識階層の人々に囲まれて育った。 父のヴィクトル・ピヴォヴァロフはモスクワ・コンセプチュアリズムの創設メンバーの1人であり、母のイリーナ・ピヴォヴァロフは詩人で児童文学作家だ。2人とも児童書の挿絵画家として多くの作品を残した。作家のミハイル・リクリンは次のように述べている。「モスクワ・コンセプチュアリズムは絵本の挿絵から発展した部分が大きい。この過程のど真ん中で生い立ったのがペッパースタインだと言えるかもしれない...」。



Pavel Pepperstein, “The Cowboys are Breaking the Ice”, 2013
© Pavel Pepperstein




Pavel Pepperstein, “The Temples are Breaking the Ice”, 2013
© Pavel Pepperstein




Pavel Pepperstein, “The Hands are Breaking the Ice”, 2013
© Pavel Pepperstein

ソビエト体制が崩壊に向かっていた1980年代に成人し、アーティストとなったペッパースタインは、西洋文化の影響に対して批判的な姿勢を貫いてきた。1987年には、ロシアの生活に西洋のスタイルがますます侵蝕していくのを食い止めようと、アーティストグループ「Inspection Medical Hermeneutics(検査医療解釈学)」を共同で設立した。このコレクティブは、ロシアが西欧に開放されたグラスノスチ時代にロシア文化を批判的に検証した。

ペッパースタインは、自身が「幻覚的リアリズム」と呼ぶものに取り組んでいる。制限を取り払った新たな世界を創造するために、刺激物質に対して底無しの欲望を持つ。ペッパースタインの作品は自由な発想に満ちており、文化的・政治的シンボルや文学の注釈といった事象の引喩として、シュルレアリスム、マレーヴィチのシュプレマティズム、東洋の水彩画、ポップアート、本の挿絵、政治の風刺画などを作品に取り込む。2020年秋に行われたインタビューで、ロジャー・ボイスがこの変幻自在な人物の心の中に深く潜り込んだ。



Pavel Pepperstein “Three Old Men talking and the Broken Suprema”, 2015
Acrylic on canvas
© Pavel Pepperstein, 20
Courtesy Gallery «Regina»


ロジャー・ボイス(以下RB):過去10年以上にわたって、現代アート界はドローイングの復興に立ち会ってきました。主要な制作手法としてのドローイングです。ドローイングは視覚的な喜びを呼び起こせると同時に、重大な概念的重荷を引き受ける制作方法です。
現代のドローイングの再興に焦点を当てる時、まず思い浮かぶのは、マルセル・ザマ、ジム・ショー、レイモンド・ペティボン、ジェフリー・ヴァランスの作品で、同様にあなたのドローイングへの挑戦も非常に興味深いです。前述した現代のドローイングの時代思潮を代表する人物達とあなたの作品は何か類似点があると感じますか?それとも、あなたの作品は感性や意図において決定的に異なるのでしょうか?


パヴェル・ペッパースタイン(以下PP): ここ数年、私は言葉とイメージの間にある深淵を探っています。刻々と変化する言語の領域は、完全で豊かな世界を呼び起こします。私が描き出すイメージは、そのような言語の世界の産物だと言えるかもしれません。しかし逆に、イメージはそれ自体が言葉に豊かさをもたらす源でもあります。

私の作品は、意図的に様々な実験の分野をさまよっています。文化、文学、イラストなど、特に児童文学に見られるような挿絵の中を行き来しています。というのも、童話やその挿絵には潜在意識や、もちろん精神病理学がありのままに表現されているからです。

私のアトリエで、様々な種類の感覚を生み出し解明するための手順を踏むと、多分野の繋げ方を理解する特別な道筋が開かれます。偶然の一致は、それ自体が非常に有益で生産的です。



Pavel Pepperstein, “The Cold Center of the Sun”, 2015
© Pavel Pepperstein, 2015
Courtesy Kewenig Gallery

Pavel Pepperstein, “Expedition into the Sun”, 2015
© Pavel Pepperstein, 2015
Courtesy Kewenig Gallery
しかし、これにコンセプチュアル・アートがどう関わってくるかが難しい問題です。私は自分の作品について聞かれる時、「幼稚なやり方で物事を理解しようとしている」とよく説明します。それは、困難で客観的な現実に対し、主観的に応じるのに有意義なやり方なのです。もちろん、様々なアーティスト達から色々な形で刺激をもらいましたが、具体的な名前を挙げることは控えています。なぜなら、誰に影響を受けたかはそれほど重要ではないからです。他のアーティスト達からのインスピレーションは、いわば挑戦のようなものです。しかし、そのような「挑戦」は意図的というよりは偶然生じるものなので、「誰が」というよりも「どのような」挑戦かが重要です。そして、何から、誰から着想を得るのかは、その瞬間には分からないものです。インスピレーションは、例えば一瞬の激情、季節や天候、幻覚、無意識に生じる感情、あるいは突然のひらめきかもしれません。これら全ての要素が入り混じったものが、私のドローイング、おとぎ話、小説、映画の題材となります。以上が質問に対する私なりの回答です。



Pavel Pepperstein “WHAT?”, 2014
© Pavel Pepperstein, 2015
Courtesy Kewenig Gallery

RB: 私達のやり取りの中で「言葉」という話題が出てきたことを嬉しく思います。というのも、誰の目にも明らかなことですが、あなたの平面作品の多くにおいて、言葉が視覚的能記として、逐語的に解釈できる比喩として、そして概念的な代用語として、形式的にも概念的にも重要な役割を果たしているからです。あなた特有の手書きの言葉に関して質問があります。

まず、あなたのイメージ領域では、なぜ母語であるキリル文字ではなく、筆記体の英単語やアルファベット文字が優位を占めているのでしょうか?あなたは放浪の生活をしているそうですが、なぜ他の「大陸」の言語の書き言葉でもないのでしょうか?

私が興味を持っているのは、あなたが「幻覚」を、新しいものを生み出し感覚を拡張する手段、あるいは、おそらく一時的な「精神病理」の状態を引き起こせる方法として言及していることです。精神病理的エネルギーは、固定観念が持つ確固たる沈滞した制約に対抗して活用されています。誘発された幻覚は、一種の精神病理の対話者のような働きをして「矛盾した記述言語」を引き出すことができます。この言い回しはあなたのイデオロギーである医療解釈学からお借りしました。

最後に、ジグマー・ポルケは精神活性物質を常用していたと言われており、彼の作品に顕著に見られるディオニューソス的表現は、彼の「幻覚体験」から生じたのだろうと容易に推測できます。このような傾向は、あなたの習慣や制作、そして作品にも見られますか?


PP: 私はロシア語と英語の単語、ロシア語と英語の文章を両方使っています。時々その他の言語を使うこともありますが、稀です。ラテン語やヘブライ語、イタリア語を引いてくることもあります。とはいえ、主な言語はもちろん英語とロシア語です。

私が英語を使う理由は非常に明白です。現在、英語は国際語とみなされています。英語で何かを書けば、ほとんどの人が読め、理解できます。私がロシア語を使うのは、これもはっきりした理由によるものです。ロシア語は私の母語であり、私に出生地に対する感情や出自の感覚をもたらしてくれるからです。英語とロシア語を混ぜて使うこともあります。ですから、答えははっきりしていて、逆に当たり前すぎて見えにくくなっていると思います。なぜか、それは理解してもらうためです。さらに愛があります。私は両方の言語を愛しています。それだけです。



Pavel Pepperstein “Landscape on top of the Landscape”, 2015
© Pavel Pepperstein 2015
Courtesy Kewenig Gallery
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Pavel Pepperstein “The Monument of the Yellow Colour”, 2014
© Pavel Pepperstein 2015
Courtesy Kewenig Gallery

もちろん、意識に変化を起こす化合物を使用するアーティスト達には共感します。私自身、液体や粉末など、様々な精神活性物質を使って多くの実験を行ってきました。正直に言うと、その実験結果を作品に生かしたこともあります。さて、幻覚は、精神病理学的な幻覚とサイケデリックな幻覚の、少なくとも2種類に定義できます。その違いは明らかだと思います。1つ目(精神病理学)は、ある種の「精神的損傷」とでも呼ぶことにしましょう、あるいは病気から来るものです。2つ目(サイケデリック)は、ある薬剤や植物、関連物質が持つ固有の効果に由来するものです。

当然、私の研究から生まれた幻覚の内容は表面的には似ていると言えますが、いわば「経験」がそれぞれ大きく異なります。2種類の異なる幻覚を混同することはまずないでしょう。残念ながら、ジグマー・ポルケに影響を与えたとされる薬物のことは分かりません。私が詳しく語れるのは、私に個人的にインスピレーションを与えた薬物のみです。しかし、これについては話すべきではないのかもしれません。秘密にしておくべきでしょうか?どうなのでしょうね。




Pavel Pepperstein “The Great Black Hole”
(the Monument of Stephen Hawking in the Year 2348), 2014
© Pavel Pepperstein

RB: あなたが創設メンバーとして参加したアーティストグループ「Inspection Medical Hermeneutics」の成り立ちと、そのグループがロシアの現代アートの発展と国際的地位の向上に大きく貢献したことについて、読者に簡単にご紹介いただけますか?また、ソビエト連邦崩壊後のロシア国内におけるアートの社会的・政治的・文化的な再構築に対するMedical Hermeneuticsの影響についてもお話ししてもらえますか?

PP: Inspection Medical Hermeneuticsグループは1987年12月に設立され、当初はセルゲイ・アヌフリエフ、ユーリ・リーダーマン、そして私の3人のメンバーで構成されていました。その後、1991年初頭にユーリ・リーダーマンが脱退し、代わりにウラジミール・フェドロフが加わり、このメンバーでグループが正式に解散する2001年9月11日まで活動していました。

ディクタフォンでの会話の録音から全てが始まりました。私の家に集まって、哲学的な会話を録音したのです。この行為から別のものが具体化しました。それが査察の実践でした。つまり、色々な場所を訪れ、そこにあるもの全てに点数をつけていったのです。非常に複雑な採点制度が作られました。遠隔地の評価、将来性の評価など、様々な採点項目がありました。その中で最も重要だったのは「HRC(Highest-Ranking Category: 最高位の項目)」でした。

HRCの評価は、無意識の全く不可解な体感に基づいて与えられるもので、その採点方法を合理的に説明することは不可能でした。私達は、数多くの展覧会やレストラン、その他のイベントに足を運び、全てに点数をつけていきました。もちろん、画家仲間のアトリエも含めてです。そうやって私達は従来の型にはまらないアート運営を築いていったのです。

当時は、ソ連の非公式の前衛アートが欧米で注目され始めた時期でした。アートコレクター、ギャラリー経営者、ジャーナリスト、評論家など、様々な肩書の人々が私達を絶え間なく訪ねてきました。言うまでもなく、これは地元の画家達に無意識のうちに影響を与え、彼らは外国人達の要求に合わせるようになったのです。私達はバランスのとれた新しい権威を作りたかったのですが、予想していなかった形で実現することになりました。




Pavel Pepperstein, “In the Year 2258 astronomers of the Earth discovered the new planet in our galaxy. They named it Mirror. All the planet is covered with Layer of black methane ice which has absolutely smooth surface with high reflection quality”, 2015
© Pavel Pepperstein



誰かと公式な契約があったわけではありませんし、実際のところ私達は一般人と何も変わらずどこにでもいる人だということは知られていました。それにも関わらず上手くいったのです。当時の社交界にいた画家達は、まるで二重の生活をしているようでした。一方では、西洋から来た外国人を満足させようとし、他方では査察で高い点数を得ようとしたのです。しかし、誰も私達がつけた評価を知ることはありませんでした。評価は全てノートに書かれ、秘密にされていたからです。 

その後何年も経ってから、私のロンドンでの展覧会のレビューを書いた、あるイギリス人の美術ジャーナリストが嬉しい意見を書いてくれました。彼女によれば、私はMedical Hermeneuticsグループのメンバーであり、ソ連の現代美術が国際的な文脈に入るのを7年遅らせたそうです。私はこの所見をとても誇りに思っています。確かに7年というのは長い歳月です。もしこれがある程度事実で、本当に私達がロシアの現代美術の国際的な進出を7年も遅らせることができていたとしたら、当然それは私達にとって大きな名誉であり誇りに思います。



Pavel Pepperstein “The Brain Dance”, 2015
© Pavel Pepperstein

RB: 素晴らしいですね。ロシアの現代美術が国際的文脈に入るのを7年も遅らせたのは、ダダイストとして喜ばしい成果です。国際協調主義者達がアートを均質化しようとする権力に対して、Inspection Medical Hermeneuticsグループが抵抗し、そして成功を収めたことに、お祝いの言葉を述べさせていただきたいと思います。

さらに、あなたの芸術表現は幅が広く膨大で変幻自在であり、非常に感銘を受けています。あなたは、映画監督、ラッパー、小説家、画家、製図者など、様々な創造性にまつわる肩書を持って活動されていますね。

一貫したテーマやコンセプトの糸が、自由に連想を繋げながら、あなたの様々な表現形態の中を縫うように行き来しているのでしょうか?つまり、博学なあなただからこそできる制作方法が、象徴的要素を大胆に組み合わせた異種混合物の「特徴」を呼び起こし、形作り、合致させるのでしょうか?あなたの豊富な知識を生かした手法には、例えば、歴史的なロシア・アヴァンギャルドの明らかに簡略化された視覚語彙、60年代の好景気の宇宙時代から派生した比喩、数々の大戦から生まれた暗い断片的な物語、子供向けのイラストに見られる魅力的な叙情性と神話的傾向、ハリウッド映画の民衆的で時にユーモアのある言及、そして常識に囚われないSFの未来予測があります。
PP: あなたの質問の中にいくつか答えが含まれていると言っていいでしょう。そして、私はこれらの組み込まれた答えに、喜び、楽しみ、そして熱意をもって同意します。もちろん、私特有の活動の無限の、いや、実際には有限の形態は、全てがあれこれと互いに関連し合っています。しかし、私は時々、意識的にこれらの繋がりを断ち切り、かつてInspection Medical Hermeneuticsで「自由連想の流れ」と呼んでいたものの活用を試みます。そうすることで、一種の解離効果を生み出せるのです。しかし、解離がどれほど強力であっても、連想の方がより強力です。このようにして、全てのものが迷宮のような風景の中に織り込まれ、その中を旅することもできるし、もちろん旅しないことを選ぶのも自由です。



Pavel Pepperstein, “The Monument for the Memory of those who killed the Tiranes (the Monument Constructed in Paris in the Year of 2405)”, 2013
© Pavel Pepperstein





Pavel Pepperstein, “She Loves the Orange Triangle”, 2013
© Pavel Pepperstein





Pavel Pepperstein, “Two Mathematicians are Meditating on the Circle Constructed from the Triangles”, 2014
© Pavel Pepperstein

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