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山城知佳子が鑑賞者に与える「想像力」






文:住友文彦 (Sumitomo Fumihiko)






Chikako Yamashiro, “Chinbin Western – Representation of the Family”, 2019,
video, ©Chikako Yamashiro, courtesy of Yumiko Chiba Associates.

生の厚みを膨らませるために必要なことは一体何であるのか。キュレーターの住友文彦氏が、映像作家、山城知佳子作品の魅力について本誌に語った。

沖縄生まれの映像作家、山城知佳子氏は、これまで沖縄戦や基地問題に対する人々の声、感情を掬い上げた作品を数多く発表してきた。目に見えないこれらの声を丁寧に膨らまし、ヴィジュアル化した作品は、山城氏の天性の感性をさらに研ぎ澄まして生み出された示唆に富むものばかりだ。しかしながら、淀みなく流れるように展開する映像のためか、鑑賞者の中にはその作品に潜む類まれな才能に触れることなく、ただ見過ごしてしまう者もいるかもしれない。

山城作品は、鑑賞者の持ちえる想像力を極限まで駆動させてくれ、自身のルーツを見つめ直すきっかけを与えてくれる。今回はその山城作品の奥深き魅力について、キュレーターの住友文彦氏に解説していただいた。




Chikako Yamashiro, “Chinbin Western – Representation of the Family”, 2019, video,
©Chikako Yamashiro, courtesy of Yumiko Chiba Associates.


日本が日本と呼ばれる、沖縄が沖縄と呼ばれる、韓国が韓国と呼ばれるようになる以前に、それぞれの土地に住んでいた人たちはどのように他の土地を想像していたのでしょうか。近代以降、土地と人との結びつきは大きく変わりました。現代の私たちは溢れるほど多くのメディアを通して伝えられること、便利になった交通網によって実際に訪れる経験を獲得しています。一方で、戦争や災害から逃れる人たちのように望んだ移動ばかりではありません。むしろ人と土地との結びつきは希薄になったと見なすべきかもしれません。

よく言われるように、私たちは誰もが生まれる時代と場所を選べません。自分はどこから来たのか、と問いかけられたとき、自分の生まれ育った場所と固有の関係によって結びつける人もいれば、現代にはそれを選ばない自由もあります。かりそめの場所との結びつきであっても、それが個人にとって大切になる場合もあります。そのような出来事がこの惑星上の各地で経験されているーーと、他の土地とそこに生きるものについて想像してみる「想像力」が、私たちにはますます必要になっています。例えば、ジョン・マックスウェル・クッツェー、金時鐘、石牟礼道子らの文学がそうした機会を与えてくれるのは、現代の恩恵かもしれません。そして、私にとって山城知佳子の作品を見ることも同じような恩恵をもたらしてくれます。



Chikako Yamashiro, “A Woman of the Butcher Shop, 2012 version”,
3-channel video installation, production support from More Museum,
©Chikako Yamashiro, courtesy of Yumiko Chiba Associates.
山城の映像作品には説明的な要素がほとんどありません。散文と言うよりも詩に近い。だから、あまり構えずにイメージの流れに身を任せるように見ることができます。固定できずに経験だけが持続する、映像のたゆたうような特徴が顕著です。油断すると時間の速度が突然切り替わることもしばしばあるので、この特徴は明示的なものとしてではなく、もっと無意識なところで山城の作品が鑑賞者に働きかけるように作用しているように感じます。言ってみれば、脳ではなく感覚によって作品を鑑賞するように仕向けられています。それから、この特徴についてはもうひとつ、彼女が生まれ育った沖縄出身の多くの作家たちが対峙してきた政治問題を鑑賞者との間に既存の知識として置かない効果も発揮しているでしょう。もちろん作品は、かなり大きな比重で沖縄の政治問題と向き合うのですが、上述したようにそれを説明することはありません。だから、もしかしたら鑑賞者によっては看過したまま通り過ぎていく人もいるかもしれません。しかし、もし看過したとしても、山城作品を見た経験は、結局別の土地の同じ構造を持つ問題と鑑賞者が向き合うことをうながすはずです。このように、水のように緩急をつけて流れていく映像に、そうした他の場所が折り畳まれた複数性を持つ点が大きな魅力です。具体的な作品を見てみましょう。


Chikako Yamashiro, “A Woman of the Butcher Shop, 2012 version”,
3-channel video installation, production support from More Museum,
©Chikako Yamashiro, courtesy of Yumiko Chiba Associates.
まず《肉屋の女》(2012年)は、「肉」をめぐる欲望を描いている作品と言えます。人々が路上で米軍の払い下げ品、農産物などを売る市がたっている光景が映し出されます。そこで肉屋を営む女性のところに、多くの男性労働者が食べ物を求めて押し寄せる様子は、ほとんど動物と変わらない欲望が剥き出しになっています。米軍基地の周辺で開発工事に従事する男たちに、多くの鑑賞者は女性への暴力を見てとるでしょう。戦中から戦後へ性暴力は継続し、1995年に米軍海兵隊員に12歳の少女が暴行される事件に8万5千人が抗議する総決起集会が開かれています。もちろん、それは沖縄ではなく、人類と戦争の歴史に関わる問題で、90年代前半には日本軍の元慰安婦が名乗り出て、日本政府も関与を認めています。基地周辺の風景を通して戦争と性暴力を暗示させるシーンです。

しかし、一方で肉屋の女性は大きな肉の塊を両手でかかえ、うっとりしながら匂いを嗅ぐ仕草も見せます。肉への欲望は性差を超えたものであり、むしろ他者を自分のうちに取り込む「食人主義」(オズワルド・ヂ・アンドラーヂ)の実践のように、異なるものの循環のメタファーのように「肉」が扱われているようにも見えます。生き物が殺され肉となって他の生き物の体内に入り込む、破壊と生成の繰り返しを意識させることで、基地と戦争の歴史をめぐる入り組んだ政治/経済の依存の仕組みは、もっと大きな自然や文化の循環のなかへと吸収されていくような印象さえおぼえます。実際に、あまりにも鮮明な肉のイメージで記憶が薄れてしまっているかもしれませんが、この作品の冒頭と最後には、実は水の中の映像があるのです。あるいはガマを思わせる鍾乳洞のなかを歩く女性たちの映像も挿入されています。それらが、身体を自然に重ねるような感覚をおぼえさせ、アニミズムのような原初的な精神の働きを想像させる効果も発揮しているように思えます。


Chikako Yamashiro, “Mud Man”, 2016 version,
3-channel video installation, made in cooperation with Aichi Triennale 2016,
©Chikako Yamashiro, courtesy of Yumiko Chiba Associates.
そのあと、山城は音響や群衆の映像によって時間の緩急が印象的な効果を持つ《土の人》(2016年)を発表します。泥まみれになって土に横たわる人々は、死んでいるようにも、抗議のための行動のようにも見えます。そこに空からまるで鳥の糞のような泥の塊が落ちてきます。人々は目を覚まして立ち上がり、泥の塊から聞こえてくる言葉に耳を傾けます。それは、日本と朝鮮の詩人たちの言葉らしいことが配布資料から推測できますが、特に字幕に記されないので、鑑賞者はその意味を受け止めるというよりも言葉が音の調べとして流れ出ていくような印象をおぼえるでしょう。そこから、花火の光とヒューマンビートボックスの音による高揚感溢れる戦闘のシーンが登場します。イメージのコラージュ的な方法によって匍匐前進する人たち、クラブで踊る人たちなどが重ねられていくのですが、そのなかに沖縄戦やベトナム戦争の記録映像も挿入されます。明らかに米軍の視点から撮影された映像とヒップホップの音は、戦後の文化的混交性を濃厚に感じるとも言えるし、人間の身体とテクノロジーがいかに容易に戦闘へ転換されうるのかを示しているようにも見えます。

ガマや基地や辺野古の建設現場など沖縄の風景が何度も登場し、一方で田畑や丘陵を俯瞰するショットには済州島の風景も入り混じります。この作品では、ふたつの島が明確な区別なく連続していくように編集されています。それぞれの国家の中心から遠く離れた島と島のあいだには、人々の抵抗の声と暴力の歴史が横たわっています。


Chikako Yamashiro, “Mud Man”, 2016 version,
3-channel video installation, made in cooperation with Aichi Triennale 2016,
©Chikako Yamashiro, courtesy of Yumiko Chiba Associates.

特に印象的なのは、はじめに泥の塊から流れ出た詩の言葉が、音として響いた経験はずっと残響のように最後まで続くことです。過去の声が漂い続ける世界を私たちは生きています。それはきっと、作品を見ていないときでもあちこちに漂っていて、私たちは耳を傾けていないだけなのかもしれません。死者たちを遠くへ隔てて生きているのは、現代社会の特徴です。この作品では、沖縄と済州島の風景のあちこちに死者の声がこだましているように感じます。それは最後の、手拍子がリズムよく打たれ、白い百合の花が咲き乱れるなかで多くの手が上に差し向けられる非常に印象的なシーンでも濃厚に感じます。《肉屋の女》でお店のなかに沢山の男がこちらに向かって伸ばしてきた手が、今度は上に向かって伸びていきます。顔は映らず、手だけを天に向けて伸ばしているのは誰なのでしょうか。それらは植物のように土の中から手が生えてくるようにも見えます。

最後に見るのは《チンビン・ウェスタン「家族の表象」》(2019年)です。チンビンというのは沖縄のお菓子で、イタリア製の西部劇をマカロニ・ウェスタンと呼ぶように、まるで西部劇のように乾いた鉱山の採掘場を舞台に繰り広げられる沖縄で製作された歌劇です。新しい基地の建設地となった辺野古の海を埋め立てるための採掘場で働く夫は、一見幸せそうに見える家族を支えている自負を誇示します。妻との不和を不安そうに見る子供たちなど、幸せそうな表面をなんとか維持する家族のやりとりがオペラという輸入文化によって歌われます。これは「家族」のイメージを外向きに整える男性中心的イデオロギーが、基地の建設に加担していることの暗示のようにも見えます。一方で、刺青とピアスが強い印象を与える女にも家族が登場し、祖父とのやりとりから自然や土地の過去に寄り添おうとする生き方が示されます。採掘場には、琉球王朝時代の服をまとった者たちが登場し芝居を演じます。伝統文化から輸入文化、現代の家族の表象と異質な要素が次々に登場する映像作品と言えます。



Chikako Yamashiro, “Chinbin Western – Representation of the Family”, 2019,
video, ©Chikako Yamashiro, courtesy of Yumiko Chiba Associates.
このように山城の作品に共通しているのは、強固に存在していた支配的な物語を、水のような緩急を持ちながら流れる映像が異なるものを横断することで解体していくことです。例えば《肉屋の女》では戦争と性暴力の関係に、人類が繰り返してきた破壊と生成の循環が重ね合わされます。そうすることで問題の輪郭が曖昧になるのではなく、人類の欲望がどれだけ根深いものであるかを感じさせます。また、《土の人》では戦争と言葉が複数の場所と関わり、暴力の歴史を言葉による記憶や癒しの機能へと転換させてきた文化的な営みが印象を残します。《チンビン・ウェスタン》では伝統と近代が対比的に侵入することで家族の物語を解体します。

しかも、ただ支配的な物語を解体するだけでなく、別の循環の中に置き換えているようにも見えることも大きな魅力です。それは、もしかしたら水や洞窟のような自然に向けられる視線のせいかもしれません。人間がそれらのなかに包み込まれ、自然と一体化するように見えるのも印象的です。沖縄に固有と思われた政治問題が自然の循環のなかに流れ出し、そのことで沖縄を超えて他の地域とのあいだにも連続面をつくりあげているように見えます。このように緩急自在の時間の流れを持つ映像と、異なるものを結び付け自然の循環のなかに置き換えるような構成によって、山城は基地を持つ沖縄の現状を出発点に暴力や性の問題を他の地域とも分かち合うようなイメージを作り出すことに成功しています。つまり、諸問題が母なる自然に包み込まれ消えていくのではなく、不安定な人間の欲望や精神との連続によってとらえられることで個人と外の社会との連関性をむしろ感じられる点が大切なはずです。膨大な情報を得ることができる一方で政治や資本の強大な支配をうける個人が、それぞれの生の厚みを膨らませるために必要なのはこのような想像力なのではないでしょうか。




Chikako Yamashiro, “Mud Man”, 2016 version,
3-channel video installation, made in cooperation with Aichi Triennale 2016,
©Chikako Yamashiro, courtesy of Yumiko Chiba Associates.
 

山城知佳子 やましろ ちかこ 

1976年沖縄県生まれの映像作家、ビデオ・アーティスト。個展「森美術館MAMプロジェクト018:山城知佳子」(2012年 森美術館)、個展「存在の海 -The Sea of Being-」(2017年 RENEMIA)、「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭: 展示「土の人」、パフォーマンス「あなたをくぐり抜けて―海底でなびく 土底でひびく あなたのカラダを くぐり抜けて―」(2018年 京都芸術センター)ほか、世界各国で展覧会を開催。



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