美術理論




コウモリの復権を求めて

翼のある仲間たちに捧げる緊急の賛辞






英文: テッサ・レアド (Tessa Laird)
和訳: 津川 万里 (Tsugawa Mari)




A Zapotec vampire bat mosaic mask made of 25 pieces of jade,
with yellow eyes made of shell.
Photo by Adrian Hernandez, licensed under cc by-sa 4.0.


2013年、私は『In Praise of Bats(コウモリを称えて)』という記事を書いた。編集者たちは翼手目(いわゆる「コウモリ」に分類される哺乳類)に対する抑えきれない情熱を表現する自由を私に与えてくれた。この記事をきっかけに行ったリサーチは、最終的に『Bat(コウモリ)』という本になり、Reaktion社の広く愛される動物シリーズの一冊として2018年に出版された。私はこの本に可能な限りの情報と画像を詰め込んだ。もちろん、出版後もコウモリに関するアート、詩、小説を発見し続けているので、新たに見つけたコウモリたちを紹介するためにもう一冊本を書ければいいのにと思っている。しかし、残念なことに、このような本の愉しい側面は、新型コロナウイルス(COVID-19)の発生以降コウモリが受けてきた悪評によって圧倒されてしまうだろう。人間が動物由来感染症に対する先制攻撃のつもりでコウモリを根絶しようとしていない時でさえ、コウモリは世界中で気候危機の脅威にさらされており、とりわけオーストラリア東海岸沿いの地域では深刻な状況に置かれている。

私は今、COVID-19による2回目のロックダウンの真っ最中に、オーストラリアのメルボルンでこの原稿を書いている。この夏の森林火災ではコウモリを含め、信じられないほど多くの動物が命を失った。しかし、この悲しみについて述べる前に、しばしコウモリへの賞賛に言葉を割きたいと思う。私のコンピューターには、まだ実在しない次のコウモリの本(B級映画のように『Bat, The Return (帰ってきたコウモリ)』と名付けるかもしれない)のアイデアをまとめた「追加コウモリメモ」というファイルがある。この本では、メキシコ国立人類学博物館が所蔵するサポテカのコウモリ神の恐ろしい顔をかたどった翡翠の仮面を取り上げるつもりだ。オーストラリア出身の詩人、ジュディス・べヴァリッジが書いた美しい二篇の詩の抜粋も紹介するだろう。『How to Love Bats (コウモリの愛し方)』で、べヴァリッジは「try to find within yourself/ the scent of a bat-loving flower (コウモリを誘う花の香りを自分自身の中に探してみて)」と読者に求める。1 また、故デボラ・バード・ローズに捧げた『Flying Foxes, Wingham Brush(ウィンガムブラッシュの空飛ぶキツネ)*』では、コウモリは 「as chatty as children fuelled by/ afternoon sugars. They hug themselves lightly,/ closely, the way tree-lovers hug wood(午後のおやつで元気いっぱいの子どもたちと同じくらいおしゃべり。樹木を愛する人が木の幹を抱くように、彼らは自らをふんわりと、しっかりと抱きしめる )」2 と書いている。





A Zapotec vampire bat mosaic mask made of 25 pieces of jade,
with yellow eyes made of shell. Photo by Adrian Hernandez,
licensed under cc by-sa 4.0.


*編集部注 頭部がキツネに似ていることから、オオコウモリは「flying fox」とも呼ばれる

私が次に書くコウモリの本には、ポルトガルのコインブラ大学にある絵画のように美しいジョアニナ図書館が、虫を食べてくれる報酬に、ピピストレル(小型のコウモリ)の一群を本棚の裏に住まわせていることを書くと決めている。イギリスのアーティスト、ダグラス・ホワイトによるいくつかの奇妙な立体作品についても言及するかもしれない。彼は、バナナの皮を黒くカチカチになるまで放っておくと、コウモリの翼のレザーのような質感を表現するのに使えることを発見した。ホワイトは、父親が亡くなった直後にメルボルンの道端でコウモリの死骸を目にし、一種のオマージュとしてこれらの作品を制作した。ユイン族とモナロ族出身の女性、ジーナ・バンドルに、彼女が今手掛けている内側にカラフルなオオコウモリの装飾を施したポッサム皮のマントの写真を使わせてもらえないか聞いてみようと考えている。そして、ジャン=ミシェル・バスキアの一つ目のコウモリのモチーフについてももっとよく調べてみるつもりだ。このモチーフにはよくMEMBER©という言葉が添えられている。なんのメンバーなのだろう。ジャスティス・リーグ? コウモリの中には単眼の種もいる。その目はアメリカの1ドル紙幣のピラミッドに描かれている目のようでもあり、全てを見通すホルス神の目のようでもある。以前私が寄せた記事にも書いた通り、コウモリは(事実ではないものの)目が見えないと考えられているが、暗闇の中を不思議なほど自由自在に飛びまわれることでも知られている。


Biblioteca Joanina, University of Coimbra. Licensed under cc by 2.0.
一冊目の本で、私はオオコウモリの性的な特性とサモアの伝統的なpe’a(コウモリ)のタトゥーについて、サモア人小説家、アルバート・ウェントを引き合いに出したが、『帰ってきたコウモリ』では、私が当時まだ知らなかった別のサモア人作家の小説に登場する素晴らしいコウモリの描写も紹介したい。シーア・フィギエルの『Where We Once Belonged (かつて私たちがいたところ)』では、物語の語り手が、彼女自身が敵視している(後に彼女の恋人となる)人物を 「コウモリは彼女のわきの下や下着のクロッチに住んでいた(bats lived in her armpits, in the crotch of her panties)」3 といったフレーズで表現する。

このように非常に多彩なコウモリ像が存在するにも関わらず、『コウモリ』の出版以降、現実の翼手目の状況は悪化の一方をたどっている。2018年の12月、コウモリの熱心な擁護者だったデボラ・バード・ローズがこの世を去った。彼女が執筆途中だったコウモリの本が遺作として出版されることを願ってやまない。オオコウモリについて書かれたローズの最後の数記事は、彼女のオオコウモリへの深い愛情、オオコウモリの生き生きとした美しさ、そして、銃撃や議会公認の駆除業者による残酷な虐待、気候変動が引き起こす熱波といったオオコウモリを襲う脅威がつぶさに綴られた胸を打つものだった。4
2019年12月20日、私はもう少しでコウモリが大量死する場面に立ち会うところだった。気温は摂氏43度を超えていた。これは、オオコウモリたちが木から落ちて死に始めるくらいの暑さだ。メルボルン中心部にあるヤラ・ベンド・パークを住みかとする約2万5000匹のハイガシラオオコウモリのコロニーは、苦境に陥っていた。私はボランティア・チームを手伝おうとしたが、公園の入り口で追い返された。コウモリを扱う際に必須とされる狂犬病の予防注射は受けていたものの、抗体価を測定するための力価試験を受けていなかったため、暑さで弱ったコウモリたちに近寄るには不適当とされたのだった。後になって、この日、人間たちが必死に水を吹きかける中、4000匹のコウモリが苦痛にもがきながら死んだと聞いた。数日後、心を揺さぶる記事を友人が送ってくれた。シャノン・ウッドコックというライターが、前年ビクトリア州の農村部を襲った熱波の際にオオコウモリを救おうとした体験を綴ったものだった。生々しく、胸が痛くなるこの記事は必読だ。5

2019年12月の時点ですでに手が付けられない状態だったオーストラリア東部の森林火災は、2020年1月を通して一帯を燃やしつづけた。燃えたのは、オオコウモリの繁殖地や餌場、渡りのルートだった。古くから、オオコウモリは火災後に森を再生させる役割を担ってきた。飛んでいく先々で在来種の樹木の種をまき、ユーカリの受粉を手助けするのだ。森林火災の直後にCOVID-19の感染拡大が続いたため、さまざまな生態系へのダメージを詳しく調査する機会はいまだ得られていないままだ。コウモリに影響を及ぼす生態系についても、コウモリがいなくなったことで影響を受ける生態系についても。

もちろん、COVID-19自体もコウモリにとってさらなる災厄となった。感染が拡大し始めるやいなや、この新型コロナウイルスの発生源は武漢の生鮮市場で売られているコウモリだという噂が流布された。世界中のメディアはこの説があたかも揺るぎない事実であるかのような無責任な報道を繰り返した。私は当初から懐疑的だった。『コウモリ』のために行ったリサーチで、過去の動物由来感染症においてコウモリが早計に悪者にされ、メディアが安易に根拠のない情報を広めた全く同じパターンを見てきたからだ。このような過去の事例では、研究結果によってコウモリが感染症の発生源と決定づけられなくても、メディアは大々的に「コウモリは潔白だった!」とか「コウモリは飼い犬より安全!」といったヘッドラインを打ち出すことはしなかった。そうするかわりに、コウモリに関する話題一切にだんまりを決め込んだのだった。新たな動物由来感染症について再び騒ぎ出すまでは。


silhouette of trees during sunset.
Bushfires below Stacks Bluff, Tasmania, Australia.
Photo by Matt Palmer.
私はコウモリ保護運動の重鎮、国際的なコウモリ保護団体「Bat Conservation International」の創設者であるマーリン・タトルの見解を仰いだ。案の定、彼はこの非常事態における真の疫病、すなわちセンセーショナルな報道について、言いたいことがたくさんあった。6 生態系におけるコウモリの貢献を強調した好意的な記事でさえも、コウモリは動物が媒介する病気の「一大宿主」であるといった情報を広めていることがよくある。実のところ、最近の研究では、コウモリが病気をもたらす可能性はせいぜい他の動物と同程度であるが、ウイルスの出どころの検証対象はコウモリに偏重していることが示されている。7 タトルは地球上のあらゆる場所でコウモリの研究に人生を費やしてきたが、一度たりとも病に倒れたことはない。また、他の動物が媒介するとされる病気のいずれにもかかることなく、コウモリと隣り合わせに(コウモリを食べることも含めて)生きる無数の伝統的な共同体を観察してきた。驚くべきことに、タトルは(合理的な範囲で)コウモリを狩り、食べることを推奨している。有用と見なされれば、コウモリが守られる可能性が高くなるというのがその理由だ。個人的にはコウモリを食べることには少し抵抗があるものの、ヨルタ・ヨルタ族とジャジャ・ブルン族出身の男性、ティリキ・オヌスが私の本を紹介してくれた時、彼はオオコウモリの自然環境における重要性だけでなく、オオコウモリがとても美味しいことにも言及した。オオコウモリは「たくさんの果物を食べるため、そのままでもまるですでにタレに漬けこまれた後のよう」だという。8


Underwood's long-tongued bat.
Photo Courtesy of Merlin D. Tuttle.
2020年5月の終わりごろ、香港に住む友人が送ってくれたサウスチャイナ・モーニング・ポストの記事には、広州に貼られた野生動物の食用に対する警告ポスターの写真が載っていた。ポスターの一枚には、フェイスマスクを着けたコウモリの絵が描かれており、その腹部には穴が空いていた。私の友人は、自身がこのポスターの意味するところを正しく理解しているか、広州の友人に連絡をとって確かめた。腹部の穴はこのコウモリが食べられたことを表現したもので、コウモリの上には赤い「丸にバッテン」の印がつけられていた。ぞっとするようなメッセージではあるが、このコウモリは可愛らしく装飾的で、美しく飾られた羽を持っていた。伝統的にコウモリが幸運のシンボルとされてきた中国は、コウモリに対してダークでゴシックなイメージではなく、奔放で愉快なイメージを持つ世界でも数少ない場所の一つだ。当然ながら、私の記事は、翻訳されて中国語版にも掲載された。コウモリは今後も中国において幸運のシンボルでありつづけるのだろうかと考えていたが、パンデミックのさなかにあっても、この公衆衛生の啓発ポスターの些細な部分からはコウモリに対する寛容なまなざしが伝わってくる。

オーストラリアのオオコウモリたちはCOVID-19に一切関係がないが、もちろん、このパンデミックは彼らに対する人間の態度に良い影響は与えなかった。ウイルスの発生源についての推測が報道され始めるやいなや、人々はコウモリの駆除を求めた。中には、Twitter上で「環境活動家のコウモリへの偏愛」に言及し、コウモリがコアラにAIDSのようなウイルスを感染させているという珍説を主張した右派のコメンテーターもいた。科学者たちが即座に指摘したように、ユーカリを食べるコアラは森を再生させるコウモリを必要としているのに。オオコウモリの殲滅(少なくとも追放)を求める流血への欲望は、すぐに昨年12月にオオコウモリが大量死したメルボルンの公園に向けられた。裕福な白人が多いキュー郊外の住民たちは、地元の自由党議員に公園のコウモリの拠点を撤去するよう働き掛け、議員は有権者が抱いている見当違いの怖れを喜んで受け入れているようにしか見えなかった。幸い、再び科学者たちが介入したが、海外には住民が実力行使に及んだ場所もあり、インド、キューバ、ルワンダ、インドネシア、そしてペルーでコウモリ狩りが行われたと報告されている。9

オオコウモリは渡りをする生き物である。つまり、オオコウモリに対する追い出し運動は、やりすぎで残酷なだけでなく、お金と時間の無駄なのである。彼らを爆竹や放水砲で一時的に追い払ったとしても、翌日には別の群れがそこにやってくるだけだ。コウモリにCOVID-19の責めを負わせることと、オオコウモリを分散させようとする試み。この二つの(互いに無関係ではない)問題の両方を痛快に風刺したのは、ガーディアン紙の挿絵画家、First Dog on the Moon(ファースト・ドッグ・オン・ザ・ムーン)だ。一つ目の作品はフローチャートで、「怒りを感じている」にイエスと答え、「コウモリに対して怒りを感じている」にもイエスと答えると、矢印の先に読者がコウモリのかわりにどこに怒りを向けるべきか示される(政府である)。10

オーストラリアのコウモリバッシングの途方もない愚かさと残酷さは、2006年に出版されたアレクシス・ライトの小説『Carpentaria(カーペンタリア)』の中で、架空の町・デスペランスで毎年行われる「Great Bat Drive(コウモリ狩り祭り)」として見事に風刺されている。「どの男もチェーンソーを携えていた。何十もの機械がエンジン音を上げた。マンゴーの木。ブルルルルン、ドサッ。シダーの木。ギュイイイイン、バタン。ポインセチアの木。ザクッ」。11 全てはあるコウモリが一匹の犬を咬み、その犬が狂犬病を発症したことから始まった。「コウモリの尿が人間の皮膚につくと、またはコウモリの唾液を吸い込むと、またはコウモリの毛に触れると何が起こるかについて」の数えきれない噂話が流れ、「コウモリは町の『世界を脅かしかねないものリスト』の上位だった。今では皆、コウモリは凶悪な病気を伝染させると信じていた。よくよく観察さえすれば、この病気は大切な鶏小屋から人間に広がっていたと分かったのに」。12 妄執にとりつかれた人々はすでにコウモリ自体を見ておらず、「かわりにコウモリの尿が降り注ぐ想像にとらわれていた」ことを、ライトは効果的に描き出している。この「悲しい、悲しい、いつまでも変わらない悲しい町」では、住宅地の白人家庭の子どもたちは夜眠りにつくのを怖がって泣く。「この子どもたちがどんなに世界と全てのものを恐れながら育つかは、誰も考えもしなかった」。13 一方で、アボリジニの子どもたちは焼いたコウモリを食べている。この物語では、真の病原は、人間の言動を毒し、身動きをとれなくさせるほどの自然に対する恐れである。

ブラジル人人類学者のエルス・ラグロウによると、アマゾンのフニ・クイン族では、ほとんどの病気の原因は動物の肉を食べるという行為であると考えられている。食べられた動物たちはニスン(nisun)と呼ばれる一種の熱病に姿を変えて人間に復讐するのだという。14 動物と同様、植物にも復讐心があるため、フニ・クイン族は特に菜食というわけでもない。むしろ、「あらゆる捕食行為は被捕食を誘起する」ことをよく知っているフニ・クイン族は、幾度もの交渉を介して自分が生きるために必要な分だけの命を奪う。ラグロウが述べているように、世界規模のパンデミックを引き起こすのは私たちが豚やコウモリ、鶏、センザンコウを食べるという事実そのものではない。病原体にとって格好の繁殖環境と拡散経路を作り出しているのは、際限のない成長を求める人間社会の収奪的なあり方である。

近年出版されたローラ・ジーン・マッケイの小説『The Animals in That Country(あの国の動物たち)』は、世界を陥落させる「動物風邪(zooflu)」の登場を予言した。この感染症には動物の言っていることが分かるようになるという奇妙な副作用がある。動物たちは喋る馬・ミスター・エド**のように人間の声で話さないが、彼らが音や色、仕草、フェロモンなどを通してすでに発しているメッセージを、人間の側が突然理解できるようになるのだ。動物たちの本音を知った人間たちは、罪悪感に苛まれ、恐ろしいほどの無知と傲慢さを自覚し始める。この本を読んだ後、私は突然COVID-19をzoonosis(動物由来感染症)ではなく、zoognosis(動物由来知識)として認識した。知識を意味する接尾語「-gnosis」のついたzoognosisという言葉は、かつては私たち皆が当たり前としていた、地球に生きる全ての生き物は知識と神秘にあふれているという考え方だ。私たちは今、他の動物たちや自然に根ざした住まいと隔絶された生活を送っている。ウイルスのゲノムシークエンスの形に暗号化したデータを大地から送ることによって、Zoognosis は私たちに原点に回帰するよう促している。私たちが謙虚に耳を傾ければ、メッセージは明白だ。

**編集部注 1960年代に放映されたアメリカのコメディー・ドラマ「ミスター・エド」に出てくる主人公。言葉を話し、人間とコミュニケーションが取れた。


私たちは、私たち自身を自然から切り離して考えるのをやめなければならない。実際にはどうやっても切り離せるわけがないのだから。繋がりによって成り立っている世界には、スケープゴートなど存在しない。その密接に絡み合う関係性を、サラ・オーラ・マークは鮮やかに概括している。COVID-19の発生源をコウモリとする言説について考察する中で、マークは「どんなストーリーもコウモリから始まる」と指摘する。この語りを介する感染は、正体不明のカクテルとジャズの即興を掛け合わせたような呪文として表出する。「あなたの母親はコウモリで、私の母親はコウモリ。私はコウモリ。あなたはコウモリ。私の息子たちはコウモリ。これまで私たちが行ってきた全てのことはコウモリ。これまで私たちが摘んだ野の花の一本一本はコウモリ。セックスはコウモリで、あなたが今夜飲むスープはコウモリ。このウイルスはコウモリで、治療法が見つかればそれもコウモリになる。詩は(書いている途中で消した部分さえも)コウモリ。私たちの肺はコウモリ。死はコウモリで、誕生はコウモリ。空に浮かぶ月、太陽、星々はみんなコウモリ。そして、あなたが夜眠れない時、それもコウモリ。そして、大統領が大風呂敷を広げる時、その言葉はコウモリ。そして、あなたが怖がっている時、あなたの恐れはコウモリ。そして、全てのコウモリを創造した神もコウモリ。そして、神を信じないこともまたコウモリ」。15 これは、私たちは皆病に侵された動物であるということを罹患者に思い出させる病気、zoognosisだ。私たちは互いを感染させ、互いに影響し合う。それでも、最も強い感染力を持つものは愛-それも、人間だけでなく他の種の動物にも向けられる種類の愛である。



1 Judith Beveridge, Accidental Grace, University of Queensland Press, 1996; available at: https://www.poetryfoundation.org/poems/55109/how-to-love-bats

2 Judith Beveridge, Sun Music: New and Selected Poems, Artamon, NSW: Giramondo Press, 2018, p. 181.

3 Sia Figiel, Where we once belonged, Auckland, New Zealand: Pasifika Press, 1996, p. 3.

4 You can see Deborah Bird Rose perform an early version of her essay “Shimmer: When All You Love is Being Trashed”: https://vimeo.com/97758080. The name of her forthcoming bat book is Shimmer.

5Shannon Woodcock, “Intimacy. Extinction. 2000 dead bats.” Overland, May 2019. https://overland.org.au/2019/05/intimacy-extinction-2000-dead-bats/

6 See Merlin Tuttle’s Webinar, “Are Bats Really to Blame for the COVID-19 Pandemic?”
https://vimeo.com/423694755

7 Nardus Mollentze and Daniel G. Streicker, “Viral zoonotic risk is homogenous among taxonomic orders of mammalian and avian reservoir hosts”, Proceedings of the National Academy of Sciences, April 2020, 117 (17) 9423-9430; DOI: 10.1073/pnas.1919176117

8 Buxton Contemporary, Melbourne, May 31, 2018. ティリキはアーティスト、リン・オヌス(故人)の息子で、彼が1991年に発表したコウモリのスカルプチャー『Fruit Bats』はオーストラリアで最も親しまれているアート作品の一つであり、私が最も好きな作品の一つでもある。また、ティリキは「私がコウモリを愛しているのは、彼らは行く先々でその土地を支配から解き放つからだ(I love bats because they decolonise the landscape wherever they go)」という名言を生み出した。

9 Jason Bittel, “Experts Urge People All Over the World to Stop Killing Bats out of Fears of Coronavirus”, The Natural Resources Defense Council, https://www.nrdc.org/stories/experts-urge-people-all-over-world-stop-killing-bats-out-fears-coronavirus

10https://firstdogonthemoon.com.au/cartoons/2020/04/24/bats-are-our-friends/

And

https://www.theguardian.com/commentisfree/2020/aug/28/despite-bats-being-critically-important-to-our-ecology-and-adorable-we-treat-them-with-disdain

11 Alexis Wright, Carpentaria, Artamon, NSW: Giramondo Press, 2006, p. 462.

12 Ibid, p. 463.

13 Ibid, p. 464.

14 Els Lagrou, “Nisun: The vengeance of the bat people or what it can teach us about the new coronavirus.” https://voicesofamerikua.net/nisun-the-vengeance-of-the-bat-people-or-what-it-can-teach-us-about-the-new-coronavirus/

15 Sabrina Orah Mark, “The Fairytale Virus”, The Paris Review, April 6, 2020, https://www.theparisreview.org/blog/2020/04/06/the-fairytale-virus/



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